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浅草
言わずと知れた東京の観光名所「浅草」。雷門、仲見世、浅草寺を中心に、数々の名所・名店がひしめき合っています。
浅草寺本堂の周りにも、実は見どころが沢山。
西側には、演芸ホールを中心に浅草六区、花やしきなど、にぎやかな街並みが拡がっています。
人力車での観光もおすすめです。
浅草寺最古の木造建築物「六角堂」
約400年前の江戸時代初期に建てられた影向堂内の「六角堂」。一説では室町時代とも言われ、いずれにしても浅草寺内に現存する最古の建造物となります。現在の場所は20mほど移動して移築されたものですが、当初(現:影向堂の南基壇上)は、井戸の上に建てられ、小さいながら技術を要する複雑な六角構造になっています。
ぜひ、寄ってみて!「昆布の川ひと」
とても紹介しきれないほど、浅草には美味しい名店・老舗がいっぱいありますが、ここでは、にこまるとなじみの深い「昆布の川ひと」さんをご紹介。東武浅草線・地下鉄銀座線の浅草駅近く。
その名の通り、昆布専門店ですが、ただ昆布そのものだけではなく、昆布を美味しく食べるために工夫された商品も取り扱っています。
中でも「汐入昆布」は、おすすめです(≧▽≦)
桜の時期は、隅田川沿いの隅田公園(隅田の千本桜)も
隅田川沿いの隅田公園に咲く通称「隅田の千本桜」。
元々は隅田川の堤防を固めるために徳川吉宗が植えたのが始まりです。
春のシーズンには、桜も見事です。
元々は隅田川の堤防を固めるために徳川吉宗が植えたのが始まりです。
春のシーズンには、桜も見事です。
西浅草・かっぱ橋
浅草の西側、料理用品をはじめとする道具街でお馴染みの「かっぱ橋」。江戸時代に作られた新堀川の両岸に、大正の初め頃から古道具屋さんが並び始めたのが発祥。
川は関東大震災後に地下に埋設されましたが、この川に架かっていた「合羽橋」の名前が残り、交差点の名前にもなっています。
鍋や包丁、調理設備など一般家庭用からプロが使う業務用まで各店舗が並んでいます。
道具だけではないグルメな街
プロの料理人たちも訪れるからでしょうか…。かっぱ橋、西浅草界隈には、美味しい名店、老舗も多く残っています。ここに名前を挙げては、ほかのお店に申し訳ないくらいに名店揃い。。。
1店だけご紹介しておくと、合羽橋本通りにある「ぬま田海苔」さん。ここでは有明海の初積み海苔だけを取り扱う専門店。
香り、味、口どけ具合…、産地によっても、それぞれに異なり、海苔によって、お勧めの海苔も変わります。
海苔だけで、色々買いたくなっちゃいます(≧▽≦)
他にも、あなご、どじょう、きんつば…昔ながらの老舗名店が多くありますので、浅草グルメを楽しめます。
奥浅草・吉原
浅草寺の裏手の方に行くと、奥浅草。さらに北側・三ノ輪方向に行くと吉原があります。東京最古の寺院「待乳山聖天」
正式名称は「本龍院」。浅草寺の子院になっていますが、言い伝えでは浅草寺より歴史が古く、なんと推古天皇3年(595年)の創建。境内のあちこちに大根と巾着があり、初めていらした方は不思議な感じがするかもしれません。
大根は消化を助け、体の毒素を排出することから、身体を丈夫にし、良縁を結び、末永く夫婦一家が仲良く暮らせるようにとの願いが込められています。
縁結びと招き猫の「今戸神社」
1063年の創建で、当初は武運が祈願されていたようですが、いつからか縁結びの神様としてお参りされるようになりました。この今戸周辺は、陶磁器(今戸焼)も生産され、器や瓦の他、今戸人形も焼かれていました。中でも「丸〆猫」は、今でいう「招き猫」の原型とも言われ、神社境内にも多くの招き猫が置かれています。
江戸の様々な文化・物語を生んできた「吉原」
「新吉原江戸町二丁目久喜万字屋内雲井」
香蝶楼(歌川)国貞
明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤へと移転し、「新吉原」とも呼ばれました。
花魁たちは容姿のみならず、文芸・教養・作法も身に着けていました。浮世絵に描かれている姿は、肌を露出させず、最新一流のデザインの着物を身にまとい、今でいう一流のトップモデルのようです。易々とは近づくことすらできない高嶺の花。時には女性たちも吉原を訪れ、そのファッションを見に来ていたようです。
もちろん吉原には多くの女性たちの悲しみがあり、決して喜ばしいとは言い難い側面もあります。しかし当時、自分ではどうすることもできない地位や身分、経済格差も大きい社会の中で、ある意味では、かくまわれ、ある意味では、たくましく生き抜いてきた女性たちのようにも思えます。
1900年頃の花魁道中。女性の見物客も見られる。
Joseph Ernest De Becker(小林米珂)
大都市・江戸の街において、憧れの的でもあり、文化の発信地、様々な物語を生んでいった場所。
今回は江戸の文化や歴史を残す「吉原」を中心に「奥浅草」を巡っています。
S字になった「五十間道」と吉原
土手通りから隅田川方向左、吉原遊郭の入り口「大門(おおもん)」に向かう道が「五十間道」。先の吉原の遊郭が表から見えないようにS字に曲がっており、抜けた先に大門(跡)があります。実際に通ってみると遊郭は外から見えないということが実感できます。吉原神社は、色町として有名な吉原遊郭にかつて祀られていた5つの稲荷神社と、七福神の1つ、遊郭に隣接していた吉原弁財天を合祀した神社とのことです。弁財天には、花魁と思われるお墓も残されています。
吉原を舞台にした名作「たけくらべ」と樋口一葉
樋口一葉の代表作の1つ「たけくらべ」。一葉は、小説家を志しながらも、一時、生活のために、吉原に近い下谷龍泉寺町(現:台東区竜泉)で雑貨・駄菓子屋を営んでいたことがあり、この時の生活経験をもとにこの作品を書いたと言われています。竜泉には一葉の旧居跡、また一葉の足跡や資料を収集した一葉記念館があり、「たけくらべ」の草稿や作品が連載された明治の同人誌「文學界」などが展示されています。
奥浅草と吉原のお店ご紹介
味もさながら、人も素敵です。他にもご紹介したいお店はあるのですが、ここでは2点ご紹介。奥浅草の「佃煮処 千草屋」さんは、親子お孫さんの三代で営む佃煮屋さん。初代おばあちゃんは松潤と韓流ドラマが大好きな92歳現役、お孫さんの発信するインスタ上で話題になっています。
吉原大門の土手通り沿いにある「桜なべの中江」さんは、創業明治38年、現在4代目。吉原界隈のことを気さくに教えてくれています。