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インドの首都デリー、インドの近世~現代に至るまでの歴史が詰まっています。
初めて都になるのは、1192年。通称奴隷王朝の時。それまでは一地方都市だった言えるでしょう。
文化の華を咲かせるのはムガル帝国の全盛時代。一時は、アグラなどへ遷都されますが、1648年、第5代皇帝シャー・ジャハーンが、再びデリーへ都を戻し、城下町を築き上げます。これが今でいうオールドデリーです。
やがてイギリスが植民支配すると、デリーの南に新たな計画都市ニューデリーが造成されました。
デリーからヤムナー河沿いに約200km下ったところにあるタージ・マハルで有名な町。
1600年前後のムガル王朝の全盛期、第三代皇帝アクバルにはじまり、第4代ジャハーンギール、そしてタージ・マハルを築いた第5代シャー・ジャハーンが、再びデリーに都を戻すまで首都であったところです。
荘厳で豪華な建築物の中に、ムガル王朝の栄華と歴史を垣間見ることができます。
インド最大の面積を誇るラジャスターン州。「ラージプート(インドの正統的な戦士集団)の土地」という意味であり、マハラジャたちが勢力を誇示してきた地域です。豪華宮殿ホテルにも滞在できます。
州都はお馴染み「ジャイプール」。その南方には虎をはじめとする野生動物が生息するランタンポール国立公園、州西部には砂漠が拡がっています。
ジャイプールはデリーの南西約260kmに位置するラジャスターン州の州都。
ムガル帝国時代の1727年、この地一帯を治めるアンペール王国のマハラジャ(大王)、サワーイー・ジャイ・スィン2世が、アンペールから遷都するため、近くのこの地に建設したのがジャイプール。約10kmの赤い城壁で囲まれ、「ジャイ」は当主の名から、「プル」は「城壁に囲まれた町」を意味しています。日本では「ジャイプール」という表記が一般的ですが、本来は「ジャイプル」の方が正しいようです。現在は、城壁の外側に、新市街が広がっています。
東インド最大の都市であるコルカタ。かつて英語名での「カルカッタ」です。西ベンガル州に属し、人口ではインド第3番目の都市。
元々は小さな漁村だったコルカタでしたが、1690年イギリスの東インド会社の拠点を置いたことから、次第に発展していきます。産業のみならず、多文化、多彩な活動がなされ、詩人のタゴールや、マザー・テレサ(マケドニア出身)などのノーベル賞受賞者も輩出しています。
ムンバイはインドの西海岸に面するインド最大の都市。
都市としてのムンバイの始まりは、1534年にポルトガルがこの地域を譲り受けたことに始まり、「ボンベイ」(良い港)と呼ばれました。1661年にイギリスに譲渡され、貿易、産業、軍事的な拠点としても栄えていきます。港に面する「インド門」もイギリス統治時代の象徴の1つです。
1995年に土地の言葉に由来する「ムンバイ」に名称変更されますが、国内各地の様々な集団や宗教・文化の集積地にもなっています。(Photo:Joe
Ravi)
コーチン(コーチ)は、アラビア海に面したインドの西南部、ケララ州の都市でインドの主要産業都市の1つにもなっています。
古くからの港町だったコーチンには、フェニキア、古代ローマ、ユダヤ、アラブ、中国などの商人が訪れていました。やがて、ヨーロッパの探検家ヴァスコ・ダ・ガマが来航すると、1503年、ポルトガルによってインドで初めて植民地支配されるようになります。以後も、オランダ、イギリスなど植民地支配を経ながら、インドでも独特な街へと発展してきました。
コーチンの南側は、水郷地帯(バックウォーター)が広がっており、南インドならではの風景、自然を楽しむこともできます。
チェンナイから海沿いに南へ60km、世界遺産に登録されている遺跡が数々ある、学術的にも非常に重要な村マハーバリプラムは、輝く太陽と砂浜と海鮮料理という違った顔も持つリゾート地で、観光客でにぎわいつつも、のんびりとした場所です。
7世紀頃、東はインド洋を越えて、また西からはアラビア海をわたり、東西の貿易拠点である港湾都市として栄えました。
ちなみに、マハーバリプラムは「マハ」は偉大な、「バリ」は聖なる、「プラム」は村という意味だそうです。