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タージマハル
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アグラ城
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ファテープル・スィークリー
デリーからヤムナー河沿いに約200km下ったところにあるタージ・マハルで有名な町。
1600年前後のムガル王朝の全盛期、第三代皇帝アクバルにはじまり、第4代ジャハーンギール、そしてタージ・マハルを築いた第5代シャー・ジャハーンが、再びデリーに都を戻すまで首都であったところです。
荘厳で豪華な建築物の中に、ムガル王朝の栄華と歴史を垣間見ることができます。
タージ・マハル【世界遺産】
>>>「タージ・マハル」修復工事の状況について
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、最愛の愛の妃、ムムターズ・マハル(本名 アルジュマンド・バーヌー・ベーガム)のために建設した墓廟です。世界最大級の大理石建築物で、インド=イスラム文化の代表的な建築物になります。
「タージ・マハル」の名称は、一般的に妃の「ムムターズ・マハル」の名前が変化したと言われています。「ムムターズ・マハル」の名前は、ペルシア語で「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉で、彼女に、第4代皇帝ジャハーンギールが授けた称号です。
南北560m、東西303mの長方形の敷地があり、メインゲートの手前、南端の約1/4部分は前庭となっています。
正門を潜ると、青空をバックに、巨大な白い大理石作りの建物が浮かび上がってきます。手前には基壇は95m四方、本体は57m四方の高さ67m、四隅の塔(ミナレット)の高さは48m。イスラムでよく重んじられる線対称の完璧なシンメトリーで構成されています。
手前に広がる内庭は、ペルシャ様式の1つで、天井の4本の川をあらわす4本の水路が四方に流れ、この水路が交わるところには天井の泉を表す池が配置されています。
ムムターズ・マハルが亡くなったのは、1631年。36歳という若さながら、第14子を生んだ後、一説では産褥の具合がよくなかったようです。
その死を悲しんだ第5代皇帝シャー・ジャハーンは、国力を傾けて、この墓廟を建設。1632年に建設がはじまり、22年の歳月をかけ、1653年に完成したと言われています。
しかし、その後、皇帝シャー・ジャハーンは、ムムターズ・マハルとの子でもある第三皇子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉され、失脚します。アグラ城にある塔から、タージ・マハルを眺めながら、妃を想い、7年後に亡くなります。
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの北面に流れるヤムナー川の対岸に、黒い大理石で自分のための墓廟を作りたいと考えていたようですが(マターブ・バーグ)、実現はできませんでした。
シャー・ジャハーンの遺体は、死後翌日、タージ・マハルに運ばれ、ムムターズの脇に葬られます。一見すれば、念願かなって最愛の妃と一緒になれたようにも見えますが、タージ・マハルの徹底したシンメトリー(対称)の美を崩す行為であり、子の第6代皇帝アウラングゼーブが、父を憎んでいたためだとも言われています。
数あるラグジュアリーホテルの中でも、一番指名が多いのが、アグラにあるオベロイ・アマールヴィラス。
お部屋やレストラン、あらゆるところからタージマハルが見え、時間ごとに様変わりする姿を堪能できます。
せっかくタージマハルを見に行くなら、ここだけ贅沢に、憧れの夢の世界に浸ってみませんか?
新婚旅行、フルムーン旅行等での奥様への感謝にも、ぜひ(^^)
マターブ・バーグ
タージ・マハルから、ヤムナー河を挟んだ対岸。
シャー・ジャハーンが、自らのための黒いタージを創ろうとしていた場所。彼の構想では、さらにヤムナー河に2つのタージを結ぶ橋を架けようとしていたようです。
アグラ城【世界遺産】
ムガル帝国第3代皇帝アクバルがデリーからアグラに遷都する際、1565年から8年かけて築かれた城。アグラ城は2.5kmの赤砂岩の城壁に囲まれ、デリーのラール・キラーと同様に「赤い城(レッド・フォート)」とも呼ばれていますが、城内の宮殿や囚われの塔には、白大理石も多用されています。
第3代皇帝アクバルは、幼少期に即位したため、重臣たちが実権を握っていましたが、成人になり、実権を確立すると、領土を拡大。また内政面でも、税制や官僚機構を改革し、ムガル帝国全盛期へと向かいます。
アグラ遷都後、アクバルは、一時、アグラ南西郊外のファテープル・シークリーや、北方のラホール(現: パキスタン)にも遷都しましたが、1598年以降、再びアグラが首都となり、その後、第4代ジャハーンギール、第5代シャー・ジャハーンまで3代の居城となり、インド=イスラム勢力のムガル帝国皇帝の栄華を現代に伝えています。
(写真は順番に、アクバル門、アクバル帝が建てた息子のために建てた「ジャハンギール宮殿」
大理石造りの豪華な寝室「カース・マハル」)
第5代シャー・ジャハーンの時、デリーへ遷都しますが、シャー・ジャハーンは、晩年、その息子のアウラングゼーブによって、このアグラ城に幽閉されてしまいます。城内の塔から、いつも妻の眠るタージ・マハルを眺めていたと伝えられており、「囚われの塔(ムサンマン・ブルジュ)」と呼ばれています。
第6代皇帝アウラングゼーブ以後、ムガル帝国は衰退への道を辿って行くことになります。
第5代シャー・ジャハーンの時、デリーへ遷都しますが、シャー・ジャハーンは、晩年、その息子のアウラングゼーブによって、このアグラ城に幽閉されてしまいます。城内の塔から、いつも妻の眠るタージ・マハルを眺めていたと伝えられており、「囚われの塔(ムサンマン・ブルジュ)」と呼ばれています。
第6代皇帝アウラングゼーブ以後、ムガル帝国は衰退への道を辿って行くことになります。
写真は順番に、アグラ城から見たタージマハルの眺め。
シャー・ジャハーンが幽閉された囚われの塔の室内噴水。元々はシャー・ジャハーンが愛妃ムムターズとの居室として建てた宮殿だった。別名「ジャスミンタワー」。
最後は、シャー・ジャハーンが建てた謁見の間「ディワニー・アーム」。
ファテープル・スィークリー【世界遺産】
アグラの南西方向約40km離れたところにある、アクバル帝が築いた都市。
子供に恵まれなかったアクバルが、ここに住むイスラム聖者の預言によって男児(のちの第4代皇帝ジャハーンギール)を得たため、1571年アグラから、この地に遷都しました。
アクバルが約5年を費やし、「勝利の都(ファテープル・スィークリー)」と名付けられた壮大な都でしたが、慢性的な水不足のため、わずか14年で手放すことになり、赤砂岩によって建てられた宮廷やモスクが、ほとんど痛まぬまま残されることになりました。
イスラム建築の特徴の一つであるアーチやドームばかりを多用せず、傾斜式の屋根など古来インドにある建築様式も多く見られ、アクバルが政治理想としたヒンドゥーとイスラムの融合が成された建築文化が築かれています。
写真はアクバル帝が暮らした「ジョーダー・バーイー宮殿」、謁見に使われた風通しのいい「ディーワーネ・ハース」、遊戯、展望のために創られた五重の「パーンチ・マハル」