TEL.03-5812-7080 FAX 03-5812-7085
〒110-0016 東京都台東区台東4-30-8 宮地ビル本館7F
(株) HMC 東京都知事登録旅行業第3-3609号
コーチン(コーチ)は、アラビア海に面したインドの西南部、ケララ州の都市でインドの主要産業都市の1つにもなっています。
古くからの港町だったコーチンには、フェニキア、古代ローマ、ユダヤ、アラブ、中国などの商人が訪れていました。やがて、ヨーロッパの探検家ヴァスコ・ダ・ガマが来航すると、1503年、ポルトガルによってインドで初めて植民地支配されるようになります。以後も、オランダ、イギリスなど植民地支配を経ながら、インドでも独特な街へと発展してきました。
コーチンの南側は、水郷地帯(バックウォーター)が広がっており、南インドならではの風景、自然を楽しむことができます。
欧州人が建てたインド最古の教会といわれている教会。
1503年にポルトガルのフランシスコ会(カトリック)修道士たちによって建造された教会です。
この教会には、ヨーロッパ人で、歴史上公式にインド航路を見つけたと言われるポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマの墓石があります。
ヴァスコの第一回目のインド航海では、コーチンの北、同じケララ州のカリカト近辺に上陸しています。第3回目の航海でコーチン滞在中に病のため亡くなり、この教会で葬儀が行なわれ、埋葬されました。14年後に遺体はポルトガルへ移されましたが、墓石は残されています。
1663年オランダがこの地を占拠するようになると、以後、プロテスタント教会に変わりました。
1568年に建てられたユダヤ教の教会。
1662年にポルトガルによって破壊されたが、その2年後オランダによって再建されました。
礼拝堂にはベルギー製のシャンデリア、凝った装飾の金の説教台、中国から持ち込まれた染め付け陶器のタイルが床一面に敷かれています。
コーチンは、古くからユダヤ人たちが定住していた街。
歴史的に記録されているユダヤの移民は、AD70年のローマ帝国によってエルサレムが崩壊されて以後のようですが、紀元前から貿易でユダヤ商人は訪れていたようです。
やはりユダヤ人で、キリストの十二弟子の一人トマスも、このケララ州に上陸、インド宣教したとも言われています。
1948年、イスラエルが独立国家を建設すると、この地のユダヤ人大半は、イスラエルに戻りましたが、現在でも数家族のユダヤ人たちが暮らし、この会堂で礼拝を行なっています。
※ノースリーブ・ショートパンツでの入場不可。通常、内部の写真撮影はできません。
(Photo:Wouter Hagens/Public domain)
1555年にポルトガル人が友好の意を表してコーチンの藩王の為に建てた木造建築の宮殿で、その後、この地を支配したオランダ総督が増改築して住居とした事から「ダッチ・パレス(オランダ宮殿)」と呼ばれるようになりました。現在では博物館になっています。
内部には、約48作品に及ぶヒンドゥー神話を詳細に描いた壁画で装飾されており、宮殿の見所の1つです。各部屋には藩王の肖像画や建設当時の家具も陳列されています。
このすぐ近くに、前述のユダヤ教のシナゴーグがあり、周囲はユダヤ人たちの居住地域でした。コーチン王国では宗教に寛容で、友好関係が築かれていたようです。
ケララ州、特にコーチンに古くから伝わる伝統漁法で、網を海中に沈め、10m以上の太い丸太で引き上げる巨大な仕掛け。海岸に沿って並んでおり、この周辺だけで見られる光景です。
以前は、1400年代の中国人探検家である鄭和によって伝えられたと考えられていましたが、最近の調査では、マカオからポルトガル領インドに移民してきたポルトガル人定住者(カザード)が、この漁法を伝えたのではないかとも考えられています。
コーチンの南側は無数の川と入り江が入り組んでいるバックウォーター(水郷地帯)になります。
ヤシの木の間を流れる川や湖で、日常的にボートが行き来し、南インド独特の風情と景観を楽しむことができます。
コーチンの南、約64Kmにあるアレッピーは、バックウォーターの中心地で、遊覧船の発着地にもなっています。のんびりと水郷地帯に広がる水田風景や、運河沿いの自然植物、野鳥の姿も見ることができます。
中でもちょっと珍しいのは、ハウスボート。その名の通り、ボートの上に家が乗っかっている形の木造の船で、宿泊することもできます。