東インド最大の都市であるコルカタ。かつて英語名での「カルカッタ」です。
西ベンガル州に属し、人口ではデリー、ムンバイに次いでインド第3番目の都市となります。
元々は小さな漁村だったコルカタでしたが、1690年イギリスの東インド会社の拠点を置いたことから、次第に発展していきます。イギリスの直轄植民地になった当初もコルカタが首都でした。やがて反英勢力が高まり、1911年にデリーに遷都されましたが、産業のみならず、多文化、多彩な活動がなされ、詩人のタゴールや、マザー・テレサ(マケドニア出身)などのノーベル賞受賞者も輩出しています。
モイダン公園(ヴィクトリア記念堂)
南北約3kmに及ぶ広い公園。市民の憩いの場になっており、早朝のヨガから、様々な屋台、夜も涼みに来る人など、市民の日常も垣間見れる場所です。
中央には、東インド会社がこの地に拠点を置いた際に建設されたウィリアム要塞があります。残念ながら、州政府とインド軍が使用しており、内部は非公開。
公園の南側には、セント・ポール寺院と、ヴィクトリア記念堂があります。
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セントポール大聖堂
1847年に完成した高さ60mの塔を持つ、ゴシック・リバイバル様式の大聖堂。英国国教会(聖公会)によるもので、インドでは最古の教会堂となります。内部には美しいステンドグラスや、ルネサンス様式で描かれたフレスコ画などがあります。
建設当初は、イギリスのノーリッジ大聖堂をモデルにした尖った尖塔があったようですが、1934年のカルカッタ地震の後、カンタベリー大聖堂風の現在の塔に再建されました。
写真は、現在の聖堂(2004年:Michael Janich/CC )と、建築当初の聖堂(1865年: Samuel Bourne/P.D.)
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ヴィクトリア記念堂
Photo:Ketanmehta4u(
CC)
1901年に亡くなったインド初代皇帝でもあった英国ヴィクトリア女王を記念し、1906年着工、1921年に完成した、白大理石造りの記念堂で、アグラのタージマハルをモデルに造られたと言われています。
ヴィクトリア女王の即位式をはじめとする英国王室の絵画や美術品なども公開されていますが、おすすめの見どころは「カルカッタ・ギャラリー」。コルカタの昔の地図や絵、写真で、コルカタの発展の様子がわかりやすく説明されています。
インド博物館
Photo:Biswarup Ganguly(
CC)
1814年にオープンというインド最古であり、アジア最大級の博物館です。
芸術、考古学、人類学、地質学、動物学、商業的な植物(木材、穀物や野菜、染料など)の大きくは6セクションに分かれ、さらに各テーマごと、計35ギャラリーに分けられ展示されています。
内容はインドに限らず、東南アジアや古代エジプト、恐竜の化石などの展示ギャラリーもあり、1から全てを見ようとしてしまうと、まさしく日が暮れてしまいます。
アナンダの慰め(ガンダーラ)
Photo:Biswarup Ganguly(
CC)
考古学セクションのガンダーラ美術、芸術セクションの珍しいベンガル美術のギャラリーなど、インドで興味ある分野から見ていきましょう。有名な「恋文を書く女」や、タゴールの絵画も展示されています(ギャラリーの改修や、貸出出展のためご覧いただけない場合もあります)。
パレシュナート寺院(ジャイナ教)
Photo:Michael Douglas Bramwell(
CC)
ジャイナ教は、仏教のブッダと同時代のマハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)を祖師とする、徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教の一つです。仏教とは異なり、インド国外には広まりませんでしたが、コルカタには比較的ジャイナ教徒が多く、いくつか寺院があります。このパレシュナート寺院は、コルカタで最も有名な寺院となっています。
1867年に建立され、美しい色の花と噴水のある庭園の奥に、ステンドグラスや鏡、大理石で装飾され、独特なきらびやかな建物が印象的です。
カーリー寺院(カーリーガート)
Photo:Balajijagadesh (
CC)
カーリー寺院は、シバ神の妻である女神カーリーを祀っているヒンドゥー教の寺院です。
現在の建物は、1809年に建てられたベンガル風の寺院建築ですが、もともと16世紀頃に小さな寺院から始まったようです。
この女神は、血を好む狂気の女神のため、境内では毎日いけにえとしてヤギが捧げられています。寺院の奥はガート(沐浴場)になっており、参拝者が身を清めています。
寺院手前は、参拝客のお供え物などを販売するバザールになっています。
タゴール・ハウス(タクール・バリ)
Photo P.K.Niyogi (
CC)
1913年、アジアで初めてノーベル賞となる文学賞を受賞した詩人であり画家ラビンドラナート・タゴールの生家であり、また亡くなった場所でもあります。
家と思う程の広さで、まさに大邸宅です。現在はラビントラ・パーラティー大学となっており、別館のタゴール博物館には、タゴールの直筆原稿や手紙、スケッチ、絵などが展示されています。
タゴールは、日本にも何度か訪れ、岡倉天心とは特に親しい関係にあったようです。岡倉天心も1901年インドを訪れています。
マザー・ハウス(神の愛の宣教者会)
Photo Nomad Tales (
CC)
マザー・テレサが設立した「神の愛の宣教者会」の活動拠点であり、生活もしていたのが「マザー・ハウス」です。一部公開されていて、見学することが可能です。マザー・テレサの棺が安置されている礼拝堂では、シスターや訪問者が祈りをささげられるようになっており、別室ではマザー・テレサの生涯と活動も紹介されています。
世界各国から訪れるボランティアの登録やオリエンテーションも、ここで行われています。
マケドニア出身の修道女マザー・テレサ(当時はシスター・テレサ)が、はじめてコルカタに赴任したのは1929年。ロレート修道会に入会、しばらくダージリンで訓練を受けた後、聖マリア女子高の教師となります。
1947年インドとパキスタンが分離独立。東パキスタン(現バングラディッシュ)からコルコタに難民が流出してきます。翌年1948年、修道会から出て、白地に青いふちどりのサリーを身にまとい、貧困層や孤児たちの救済活動がはじまります。
1950年に神の愛の宣教者会を設立。1951年、インド国籍を取得。
1952年、カルカッタ市役所より、カーリー寺院近くの巡礼者用休憩所だった建物を与えられ、有名な「死を待つ人の家」が開設されました。
1953年2月に現在のマザー・ハウスに拠点を移し、以後も、コルカタ市内に、孤児の家、ハンセン氏病患者のための施設などを開設、やがてインド国外にも宣教会の活動は展開されていきました。
マザー・テレサの活動に対しては様々な批判的な声もあった一方で、1979年にはノーベル平和賞を受賞。1997年、テレサは87年の生涯を終え、インド政府によって異例の国葬が行われました。