写真提供: 長崎県観光連盟
福岡・博多港から高速船で65分。
きれいな海に白い砂浜ビーチ、新鮮な魚介類や壱岐牛、各種アクティビティなども充実しており、九州から気軽に行けるリゾートとしても人気があります。
目次
歴史・遺跡関連の見どころ
対馬に次いで、大陸・朝鮮半島に近かった壱岐の歴史は古く、「魏志倭人伝」では「一大国」、「隋書」など他の文献では「一支国」として登場しています。対馬と同様、良くも悪くも大陸の影響を真っ先に受けた壱岐ですが、対馬との大きな違いの1つは農耕に適した平地の広さ。稲作によって栄え、鉄器も数多く発掘されています。
稲作、鉄器といった大陸の文明文化は、朝鮮半島から対馬を経て、この壱岐に伝わり、日本列島各地へと拡がっていったと考えられています。当時の壱岐は、まさに国際交易の要だったのです。
一支国(いきこく)博物館
壱岐には遺跡が、古墳を含めて分かっているだけでも482箇所あります。その他の文献、史料を合わせて、古代から近世に至る壱岐の歴史が俯瞰的に観ることができます。写真提供: 長崎県観光連盟
写真提供: 長崎県観光連盟
原ノ辻遺跡(はるのつじいせき)
写真提供: 長崎県観光連盟
範囲も広大で、日本最古の船着き場の跡や、鉄器類、中国の貨幣など数多くの品が出土されており、住居跡からも交易によって栄えていたことが伺え、魏志倭人伝に書かれた「一支国(一大国)」の王都であると特定されています。
壱岐の古墳群
壱岐島には約280基の古墳が見つかっており、そのうち主要6基が国の史跡に登録されています。最も古いのが「対馬塚古墳」で6世紀後半の前方後円墳。続く「双六古墳」も長崎県では最大となる前方後円墳(長さ91m)です。その後は円墳に変わり「笹塚古墳」「兵瀬古墳」「掛木古墳」「鬼の窟古墳」と続きます。
「掛木古墳」は内部見学も可能で、隣接する「壱岐風土記の丘」に古墳館もあり親しみやすくなっています。
掛木古墳
双六古墳(写真提供: 長崎県観光連盟)
聖母宮
壱岐の北側、勝本港近く、奈良時代(717年)に創建され、1300年以上の歴史深い神社です。古代、第14代仲哀天皇の崩御後(西暦で200年頃?)に摂政となった皇后・神功皇后が祀られています。勝本自体、神功皇后に纏わる伝承が残る地で、神功皇后の馬の蹄の跡とされる「馬蹄石」もあります。
鎌倉時代の最初の蒙古襲来 (文永の役)には、元軍の上陸地となったようです。また豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には、熊本の加藤清正が宮の表門や石垣を、佐賀の鍋島直茂が裏門を寄進しています。
勝本城跡(城山公園)
写真提供: 長崎県観光連盟
城壁が残り、当時の面影を忍ばせています。
黒崎砲台跡
写真提供: 長崎県観光連盟
1928(昭和3)年から6年の年月をかけて1933(昭和8)年に完成。要塞砲には戦艦土佐あるいは赤城の主砲が据えられ、対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために設置されたと言われています。
松永記念館
壱岐出身で「日本の電気王」「電力の鬼」とも称された松永安左エ門氏の記念館。松永氏は、明治42年、福博電気軌道の設立に携わったのがきっかけで、電力事業へと展開し、大正から昭和の戦前にかけては東邦電力社長、東京電力の取締役も歴任。施設入口には福岡市電の車両が置かれています。
生家跡にあり、生前愛用した所持品、後藤新平氏や犬養毅首相からの書などを展示。また民俗資料を集めた「ふるさと資料館」も併設されています。
観光地、景勝地
九州から近い壱岐ですが、海の風景は一変。各所に白い砂浜が拡がり、無人島の辰の島に行くと、エメラルドグリーンの光景が広がります。開放感あふれる離島ならではの海の光景に心癒されます。壱岐のビーチ
写真提供: 長崎県観光連盟
沖縄などの白砂はサンゴでできているのに対して、壱岐の白砂は全国的にも珍しい貝殻が砕けてできており、裸足で歩いても痛くないほどサラサラのパウダー状です。
(写真は筒城浜海水浴場)
辰ノ島クルージング
壱岐の最北端にある無人島「辰ノ島」へ!壱岐島北端の勝本港よりスタートし、迫力ある断崖絶壁の岩島や透明感抜群のエメラルドな海を満喫できるクルージングです。約40分の「クルージングコース」のほかに約1時間40分のプチトレッキング等が楽しめる「上陸コース」があります。
岳ノ辻展望台
写真提供: 長崎県観光連盟
玄界灘に囲まれた島全体がぐるりと見渡せる他、晴れた日には九州や対馬まで一望できます。
古代より狼煙台や遠見番所などが設置され、国を守る要所として重要な役割を果たした場所でもあります。
左京鼻
写真提供: 長崎県観光連盟
壱岐を代表する景勝地の1つ。東海岸の八幡半島の先端付近となり、およそ1km続く断崖絶壁の光景は圧巻。海中から突き出る奇岩は「観音柱」と呼ばれ、伝承によれば島が流されてしまわないように造った8本の柱の1つと言われています。
江戸時代前期に旱魃(かんばつ)が続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨乞いを行うと大雨が振りだし、村人たちが救われたという伝記が残っています。
江戸時代前期に旱魃(かんばつ)が続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨乞いを行うと大雨が振りだし、村人たちが救われたという伝記が残っています。
はらほげ地蔵
(C)NIKOMARU TOUR
写真提供: 長崎県観光連盟
満潮になると胸まで海に浸かるお地蔵さん。地元では遭難した海女さんや鯨の供養のために祀られていると伝わります。ちなみに「はらほげ地蔵」の名前の由来は「お地蔵さんの腹が丸くえぐられているため」とされています。
猿岩
壱岐の西側、黒崎半島の先端にある「猿岩」。猿が横を向いている姿に見えます。神話の舞台にもなっていて壱岐島が流れてしまわれないよう神様が建てた「八本柱」の一つとも言われています。
岩越に沈む夕陽の光景も人気があります。
鬼の足跡
写真提供: 長崎県観光連盟
神社巡り
島内に150以上の神社がある壱岐。古来より大陸の脅威とも向き合いつつ、自然界の厳しさと恵みを感じながら生きてきた壱岐の人たちにとって、おのずと「神」への畏敬と感謝の念が生まれてきたのでしょう。
海から参道が現れる「小島神社」
写真提供: 長崎県観光連盟
島全体が神社と考えられ、干潮時の数時間だけ海から参道が現れ、歩いて参拝することができます。
古代の人たちにとっては、道が開ける「神秘」の光景だったことでしょう。
伝統と格式の「住吉神社」
写真提供: 長崎県観光連盟
300体以上の石猿がお出迎え「男嶽(おんだけ)神社」
明治時代までは山全体が御神体とされていた男岳山の山頂にある「男嶽(おんだけ)神社」。導きの神様とされる「猿田彦命(サルタヒコノミコト)」が祀られており、願いが叶った参拝者が、お礼に猿の石像を奉納し、その数は300体以上になります。全国の月讀神社の総本社「月讀(つきよみ)神社」
月の神である月讀命(つくよみのみこと)を祀る月讀神社。趣のある鳥居をくぐり、木が鬱蒼と茂る森の中、石段を登っていった先に社があります。暦・潮の干満など月に纏わる全てを司ると考えられ、航海での安全が祈願されたようです。日本書紀によれば京都の月讀神社も、壱岐から分霊されたものと記され、全国に点在する月讀神社の総本社とされています。
壱岐のグルメ
玄界灘にもまれた身の引き締まったイカやブリなどの刺身。甘くとろけるようなウニ。そして日本一にも輝く壱岐牛。麦焼酎も発祥の地なんだとか…。また古代から稲作で栄えたのが壱岐。長崎県が先駆けて育ててきたブランド米「にこまる」も、どうぞお召し上がりください(^^)/
なお、当然ながら、「にこまる米」と「にこまるツアー」は、全く関係はありません…(^^;
壱岐のウニ
濃厚な甘みが特徴の壱岐のウニ。ウニ漁が行われるのは4月中旬から10月中旬頃。約300人の海女・海士が、今も素潜りで漁をしています。
主に獲れるのは定番のムラサキウニとガゼウニですが、ごく稀に幻のウニと呼ばれる「赤ウニ」も水揚げされます。「赤ウニ」は島内でも食べられる機会は珍しく、もし現地で見かけたら、ぜひご賞味ください!
壱岐牛
年間900頭ほどしか出荷されていない「壱岐牛」ですが、和牛のオリンピック「全国和牛能力共進会」の「肉部門」で日本一を獲得したこともある高品質な和牛なんです。壱岐での食べ方はいろいろで、焼肉やステーキから、ハンバーグ(ハンバーガー)まで、様々な調理法で味わえます。
壱岐焼酎
写真提供: 長崎県観光連盟
中でも、麦焼酎は壱岐が発祥とされ、400年以上の伝統の技を継承する蔵元がいくつもあります。麦の香ばしい香りと麹の天然の甘みが絡み合い、独特の味わいが生まれます。島内の焼酎蔵では工場見学や試飲を楽しむことができます。
料金の目安
※料金は、ご人数、時期、食事内容、ホテルランクなどにより変わります。お見積いたしますので、お問い合わせください。
●航空券+高速船+ホテル
2021年11月平日(日~木曜発)参考代金
・JAL羽田-福岡往復航空券
・高速船ジェットホイル(博多港⇔壱岐往復)
・ホテル2名1室利用 朝食付
(福岡/エクセル東急×1泊、壱岐/ステラコート×1泊)
2名様でのご旅行 参考料金
お一人様あたり 69,000円~
※お日にちや混雑状況などにより変動します
1日目:JAL羽田⇒福岡 ご自身でホテルへ【福岡泊】
2日目:ご自身で博多港へ。高速船で壱岐(芦辺港)へ
港着後、ご自身でホテルへ 【壱岐泊】
3日目:ご自身で芦辺港へ。高速船にて博多港へ
ご自身で空港へ。JAL福岡⇒羽田。
■島内レンタカー 軽自動車(24 時間・免責込) 9,800円~
こちらもどうぞ!国境の島「対馬」
対馬(つしま)は、日本と大陸の狭間にある島で、古代から重要な役割を果たしてきました。元寇の役では、最初の攻撃地となり、死闘が繰り広げられました。また江戸時代には、朝鮮との橋渡しとして重要な役割も果たしてきた島です。