[話題]1931年甲子園準優勝、台湾・嘉義農林野球部監督の近藤兵太郎氏が、台湾の野球殿堂入り

「日本人、台湾人、先住民族が混ざりあっている学校、そしてチーム、これこそが最も良い台湾の姿だ。それが負けるとしたら努力が足りないからだ」(近藤兵太郎)

 2024年1月12日、台湾の野球殿堂「台灣棒球名人堂協會」は、1931(昭和6)年、嘉義農林(当時)野球部を率いて甲子園準優勝を果たした監督の故・近藤兵太郎氏の野球殿堂入りを決定しました。

近藤兵太郎

近藤兵太郎氏

 近藤兵太郎氏は愛媛・松山商業出身、同校の野球部コーチも勤めていましたが、台湾へ赴任。嘉義にある嘉義商工学校で教鞭をとる傍ら、1928年(昭和3年)頃から嘉義農林学校野球部の指導をし始め、1931年(昭和6年)に監督に就任。
 野球部員には、日本人、台湾人、先住民族といましたが、まだまだ差別的な民族意識も強い当時にありながら、近藤は分け隔てなく指導。その年の夏に、甲子園初出場ながら準優勝を果たしました。
 2014年には、この嘉農野球部を題材とし映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」(原題:「KANO」・近藤兵太郎役:永瀬正敏)にもなり、甲子園歴史館には嘉農野球部に関する展示コーナーも設けられました。
 
 台灣棒球名人堂には、準優勝当時のエース呉明捷(2020年選出)他、日本でも活躍したプロ野球選手の郭源治(元中日・2019年選出)、荘勝雄(元ロッテ・2020年選出)、郭泰源(元西武・2020年選出)等も殿堂入りしています。

 
1931年甲子園準優勝した嘉義農林

1931年甲子園準優勝した嘉義農林

2024年1月16日 | カテゴリー : 話題 | 投稿者 : nikomaru