国立故宮博物館は1日かけても見切れないほどの見ごたえ。日本統治から、蒋介石による統制、現代の民主化に至るまでの歴史も随所に見られます。
夜市は夜遅くまでにぎわい、鼎泰豊の小龍包も食べておきたいところ。
他にも見どころはいっぱい。社員旅行などでは業種に合わせた見学場所など、ご希望に応じて手配しますので、お問い合わせください。
目次
世界四大博物館の1つ「国立故宮博物院」
台北の故宮博物院の収蔵品は、約70万点といわれ、そのうち展示している品は、6000から6500点。最古のものは、5000年前に作られたものになります。そもそもは宋の時代に設立された学芸院が始まり。その後、清時代から中華民国に変わった後1925年、紫禁城が故宮博物院となりましたが、歴史の激変によって、政府と共に台湾に運ばれました。
フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館の1つに数えられています。
翠玉白菜は故宮博物院で最も有名な彫刻。半分が白、半分が緑の翡翠(ひすい)を使って、見事に白菜の色を再現、人工着色ではないというところがポイントです。写真ではわかりませんが、実物の彫刻には、葉の部分にキリギリスがとまっていることに注目です(もちろん彫刻)。
2015年、嘉義にも故宮南院がオープンし、収蔵品は相互で展示されるようになっています。
(翠玉白菜 Photo By peellden [GFDL, CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons)
合わせて立ち寄りたい「順益台湾原住民博物館」
故宮博物院の斜め向かいには「順益台湾原住民博物館」もあります。各原住民族が暮らしてきた自然環境、住居や生活空間の道具類、服装や文化などが展示されています。多くの原住民族がいる台湾。ちょっと立ち寄ってみると、面白いかもしれません(^^)
(→おすすめ台湾「台湾少数民族(原住民)」)
衛兵交代が見もの「台北忠烈祠」
色彩の美しい中華式宮殿に、中華民国成立に犠牲となった革命烈士、抗日戦争及び国共戦争で亡くなった33万人の兵士が祭られています。大殿内の四方には烈士の位牌が置かれています。
忠烈祠正門前には、衛兵が直立不動、微動だにしません…と思いきや、1人はまだ新人さんだったのでしょうか、視線が動いてしまっていました。。。^_^;
もう一人の衛兵さんは、本当に動きません。
1時間毎に行われる衛兵の交代式は、一見の価値ありです。
地元的な繁華街「永康街」
鼎泰豊本店のある永康街は、台湾的なショッピングストリート。雑然と店が並ぶ中、雰囲気のあるお茶屋さんや雑貨屋さん、おしゃれなカフェがあるからおもしろい。マンゴーなどのフルーツ盛りだくさんのアイスや、地元台湾人にも人気の「永康牛肉麺」など、B級グルメも楽しめます。
日本統治時代から現代まで使われている官邸「台湾総統府」
日本統治の1919年に台湾総督府として建設。大戦末期の空襲で損傷しましたが、1946年に修復、蒋介石の還暦を記念し「介寿館」と改名。中華民国が台湾に遷都した1949年から現在に至るまで、台湾総統府となりました。設計は、公募コンペで選ばれた長野宇平治の設計を元に、森山松之助が修正を加えてたもの(二人とも東京駅を設計した辰野金吾の弟子)。国宝級古跡としても認定されています。
自由観覧、写真撮影はできませんが、平日の午前中、ガイド同行の内部見学も可能です。
台北には、その他にも、日本統治時代の建築物が多く現存しています(→「日本統治時代の建築物」)
日本統治時代に始まった「台湾博物館」
By 勤岸 [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
現在に残る建物も、1915年(大正4年)に完成したもの。建物自体が史蹟の1つです。
日本撤退後も「台湾省立博物館」のちに「国立台湾博物館」と変遷しながら、今日まで運営。
常設展示では、台湾の歴史、先住民族、地質や生物など、各セクションに分けて台湾に纏わる様々な展示が行なわれています。
台湾理解を深める。ニニ八和平公園と紀念館
1945年日本の統治が終わり、中華民国(国民党)政府による統治が始まった台湾。しかし、変わって間もない1947年2月28日、元々台湾在住の台湾人(本省人)と、大陸から来た国民党政府との間に激しい対立が起こります。それが「ニニ八事件」です。
以後、約40年に渡り戒厳令と厳しい言論統制が引かれた台湾では、近年まで事件が語られることはありませんでした。
現在では、ニニ八和平公園に紀念碑と紀念館が置かれ、その当時の模様を伝えています。
(→「台湾を知る『ニニ八事件』)
蒋介石を記念して建てられた「中正紀念堂」
蒋介石と言えば、中華民国(国民党)を率いた政治指導者として有名ですが、「中正」とは、蒋介石の本名「蒋中正」から取られています。蒋介石が亡くなった後に建てられ、蒋介石の銅像や足跡を辿る展示がされています。中華民国のリーダーとして尽力を注いできた蒋介石。一方、台湾人にとっては少し複雑な場所でもあります。
日本の敗戦後、独立を目指した台湾人は、一時、蒋介石率いる中国国民党を歓迎しました。しかし、やがて不正の多さや横暴さに失望していくことになります。
1947年2月28日、日本統治時代から台湾に住む本省人(当時はまだ日本国籍の台湾人)と、外省人(後に来た大陸中国人)との間で、大規模な民主化運動「ニニ八事件」が勃発してしまいます。
この民主化運動は国民党政府によって鎮圧され、以後しばらく蒋介石を総統とする国民党の独裁的支配が続きました。
今でこそ民主化された台湾ですが、1988年までニニ八事件について語ることも許されず、知識階層をはじめ弾圧を受けた台湾人も多くいるのです。
古くからの台湾人たちの信仰が集まった「龍山寺」
正式には「艋舺龍山寺」。1737年に建立された台湾で最も古いお寺で、地元の人々のみならず、台北にくる観光客も多数訪れる有名なお寺。建物自体は、数度の再建を経ており、本堂は1947年に再建されたもの。
ご本尊は観音菩薩らしいのですが、仏教以外のあらゆる神様もお祭りされている神仏習合体です。
その他の神様達は、お寺の後ろ「後殿」に祀られています。それぞれ得意分野があるそうで、学業・出世・恋愛・運勢・子宝・健康・金運等…人の欲の表れかもしれないですね。。。
「鼎泰豊」で「小籠包」を食べる訳
はじめて台北に行くなら、一度は食べておきたい鼎泰豊の「小籠包」。小籠包自体は、上海が発祥と言われ、本場ではないともよく言われます。確かにその通りではあるのですが、実際のところ、台湾には多くの中華料理が流れていて、独自に発展を遂げているのも確かでしょう。
そんな中華料理のしかも1メニューに過ぎなかった「小籠包」を世界に知らしめたのが、この台湾の「鼎泰豊」なのです。
もともとの鼎泰豊は、食用油の販売店。その家業が不振の時に、中国出身の主人が副業として始めたのが、小龍包の小さな食堂でした。これが地元の台湾人の評判を呼び、やがて小龍包が専業になります。
とはいえ、地元近隣で評判の小食堂に過ぎなかった鼎泰豊を一躍有名にしたのが、「ニューヨークタイムズ」。なんと鼎泰豊が、世界10大レストランの1つに選ばれたのです。以後、「小籠包」の「鼎泰豊」として世界に知られ、外国人観光客が訪れるようにもなったのです。
鼎泰豊では、一部厨房をガラス張りにして、小籠包作りの様子も見えます。小籠包ほか、蝦仁焼賣(エビシューマイ)や、炒飯などもおすすめ。弊社の手配では、ご予算に合う限り、小龍包はもちろん、蝦仁焼賣などもお召し上がりいただけるようにしています。
この近辺では小龍包のお店は他にもあります。「鼎泰豊」の「小籠包」が有名になったことで、いい意味で競い合う様にもなりました。食べ比べてみるのも面白いかもしれませんね。
鼎泰豊に負けない!おすすめの店「金品茶楼」
鼎泰豊から独立したシェフが、飲茶・点心料理を提供している金品茶楼。小龍包も鼎泰豊同様、弾力のある薄皮。元々は高級なお茶屋さんで、小奇麗な店構えで、落ち着いて食べるには、こちらがおすすめです。
台北なら、いろいろ食べられる その他の料理のおすすめ
台湾料理は本来、福建料理がベースになりますが、各出身ごと北京、四川、上海、広東、屋台から始まったB級グルメまで、台湾では様々な料理がたくさんあります。どれも台湾料理と言えば、台湾料理。決してすべてをご紹介はできませんが、その中から、おすすめの料理をピックアップしてご紹介しています。
(→「台湾料理のあれこれ」)
台湾風情が味わえる 「士林夜市」
台湾といえば夜市。もっとも人気のあるスポットです。はじめての台北なら、いちばん大きな士林夜市がやはりおすすめ。台湾の熱気とパワーを感じることができます。
迷うほどに台湾料理もいろいろ。
台湾人人気の屋台メニュー・カキの台湾風オムレツから、イカなどの海鮮系具材のたっぷり入ったあんかけ風「生炒花枝」、果物がどっさり入ったカキ氷「包包氷」などなど。
食べ物以外にも、雑貨や日用品もいたるところで売られています。買う時には、がんばって値切ってみてください。
若者達で賑わうストリート「西門町」と、レトロな「西門紅楼」
週末になると歩行者天国となり、台湾の中高生たちが集まるのが西門町。映画館やデパートが集まり、流行の発信基地にもなっています。この界隈で一際、目を引くのが、レンガ造りのレトロな「西門紅楼」。元々は、1908年に「西門市場(六角堂)」として建てられた建物です。
西門町は映画の街としても発展していたため、1963年からは「紅楼映画館」として興業を行ないます。その後、老朽化、火災などに合いましたが、取り壊しは免れ、改修。
現在は、紅楼100年の歴史も物語ながら、カフェ、デザイン工房、ライブハウスとしても活躍しています。
昔ながらの台北の商業街「迪化街」
迪化街は、19世紀中頃の清朝末期から栄えていた問屋街です。海の玄関口である「淡水」から、淡水河を通ってやってくる多くの商船が、迪化街(当時、大稲埕)近くに荷揚げをしていました。
貿易商の商館や商店が並び、実に、この一帯が台北の貿易の中心地でもあったのです。台北は、淡水河そして北側を流れる支流の基隆河の水上運送によって発達したといっても過言ではありません。
日本統治時代にも商業街として栄え、当時のバロック風の建築物も残っています。
現在でも、布問屋から、漢方と乾物、お茶、高級食材、米、竹細工…迪化街ならではの商店が並んでいます。最近では、おしゃれなカフェや雑貨屋さんも出来ています。
淡水河にある、近くの大稲埕埠頭からは、淡水への遊覧船も不定期運航されています。
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