歴史と文化の都ハノイ
11世紀に李朝の首都タイロンが置かれて以来、歴史ある政治と文化の中心都市。南部のホーチミン市ほどには商業的に栄えてはいないものの、経済的な成長を果たしている一方で、昔ながらの旧市街は建物が保存され、ベトナムの新旧が織り交ざった街です。
周辺にも世界遺産のハロン湾を代表する観光地があり、北部観光の拠点でもあります。
ホーチミン廟
ベトナムの国民的英雄ホー・チ・ミンの遺体が安置されているホーチミン廟。生前、ホー・チ・ミン自身は、霊廟の建設を望んでいなかったようですが、1969年の没後、1975年の命日であり、建国記念日でもあった9月2日に落成、この日には多くのベトナム人が集まります。普段でも参拝者の行列が出来ており、中に入場するには長時間並んで待つ必要があります。
ホーチミンの家
親しみを込めて「ホーおじさん」とも呼ばれているホー・チ・ミン。簡素なその佇まいが見学できます。室内には入れませんが、廊下から部屋の様子が見れます。By abbeyman2002 [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons
タンロン遺跡(ハノイ城跡)
タンロン(昇龍)はハノイの旧称。11世紀の李朝以来、1802年、南のフエを拠点とする阮朝が政権を取るまで、各王朝がこの地に居城として築いていました。ベトナム史の上で意義ある場所ですが、まだ発掘調査中のため、一部が公開されているのみです。旧市街(ハノイ36通り)
タンロン遺跡の東、ホアンキエム湖の北側付近は旧市街。李朝が都を築いて以来、職人産業で栄え、通称「ハノイ36通り」とも呼ばれています。これは通りの名称ではなく、36の通りがあったことに由来しています。改築が禁止されているため、旧来のベトナムを感じられる地域です。建物は古いですが、趣を活かしたお店も多くあります。
一柱寺
李朝の太宗が1049年に創建した延祐寺内にある楼閣。池の上に一本柱で仏堂を支えているユニークな形。太宗が蓮の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見た後、子供を授かったことから建てられたと言われています。文廟
1070年、孔子を祀るために建てられた孔子廟で、1076年からは大学も開設され、王族や貴族の子弟、官僚試験(科挙制度)合格を目指す若者たちが、ここで学んでいました。大学の卒業記念写真も、ここで撮影されることがあるようです。左端は卒業生ではなく、にこまるのスタッフですので、あしからず…(^_^;)
ホアンキエム湖と玉山祠
ホアンキエム(還剣)湖は、ハノイ市の中央、旧市街の南側にある湖。1428年、黎朝の始祖レ・ロイがこの湖に棲む大亀から剣を授かり、明と戦い勝利を収めた後、再び剣を返したという言い伝えから、この名がつけられています。湖の南側にある建てられている小さな塔が、剣を返した場所とされています。また北側にある赤い棲旭橋(テーフック橋)を渡って小島に行くと、13世紀創建、1865年に現在の形に再建された玉山祠があり、1968年に湖で捕獲された全長2mの大亀の剥製も展示されています。
ハノイ大教会(聖ヨセフ大聖堂)
フランスによる統治が始まって間もなくの頃、1884年に建設が始まり、1886年に完成したネオ・ゴシック様式のカトリック大聖堂。今も現役で、ミサも行なわれています。観光客も見学可能です。聖堂前の広場は地元民の憩いの場にもなっており、特にクリスマスの時期は多くの人たちでにぎわいます。また教会周辺の通りは、カフェや雑貨店が並び、街歩きしても面白いところです。
水上人形劇
水面を舞台にした人形劇で、ハノイを代表するエンターテイメント。歴史は古く、1000年も昔から演じられてきた伝統劇で、元々は収穫期のお祭りで農民たちが水辺で演じていたのが始まりです。【おまけ】 ある意味、ベトナムらしい横断歩道
最近の日本では、自動車は歩行者のいる横断歩道の手前で止まらなくてはなりませんが、ベトナムでは、バイクも、車も、決して止まりません。避けて通る!歩行者も車が避けれるくらいに、ゆっくりと渡ります。 手を引かれた高齢のお年寄りもちゃんと渡り切りました。
逆に、急いで渡ろうとすると、事故になりやすいので、ご注意を…(^^;