多くのイスラエルの民が通った荒野 |
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エンゲディ -アイベックスの群れ |
出エジプトの民をはじめ、ダビデ、主イエスも含め、神は度々、荒野へと導いています。 荒野に何があるというのでしょう…。
不用意に岩を退ければ、危ない蛇や、さそりが実際にいます。
一見、死に面した厳しい荒野ですが、この地に生きる動植物や人々に出会う時、そこに「生きる」ということ、「いのち」を感じさせてくれるのが、この荒野なのです。
この荒野を通ると、コップ一杯の水も、まさしく「いのちの水」に変わります。 |
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荒野に流れる川 |
今回の旅行では、その荒野に雨が…
日本にいれば、せっかくの旅行中に雨なんて…残念な気分にもなるかもしれませんが、1年間の降水量がたった30mmの場所に雨となれば、恵みの雨です。
粘土質の地面に水はしみこまず、小さな川が、いくつも出来始めます。その小さな川が集まり、下流では土石流になります。実際に、前日は死海沿いの道路が冠水して、通行止。人間は成すすべもありません。
そんな中、普段、乾ききった大地の中で眠っていた植物の種たちは、待ち焦がれていたかのように、芽が吹き始め、小さな花が咲き始めていました。
いのちの力を感じます。
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荒野に咲かせた花 |
岩をどけると、さそりも出てくる |
下流部では道路が冠水 |
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空の鳥を見よ、野の花を見よ…。―ガリラヤ湖周辺 |
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奥に見えるのがヘルモン山 |
前日までは、ゴラン高原で雪。
イスラエル最北端のヘルモン山も雪で覆われていました。ここまで綺麗にその姿が見えたのは、あまり記憶がありません。
あまり知られていないですが、ガリラヤ湖の北側のヨルダン渓谷、フーラ湖周辺は、世界有数の渡り鳥の飛来地。
かつてこの地域は人為的に干拓されたのですが、鳥による農作物への被害や、土砂被害があまりにも多く、再び、鳥や動物たちの棲める環境に戻したのです。
神が創られた自然のバランスは、驚異的です。今では、国立の自然公園として保護され、多くの鳥や動物たちが生息しています。
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山上の垂訓の丘から眺めたガリラヤ湖 |
地中海性気候のガリラヤと言えども、花が咲くのは2月の2〜3週間がピーク。
サウジアラビアから熱い風が吹くと、やがて緑も茶色くなってしまいます。
ガイドのルツさんが、山上の垂訓の丘から、あまり人の通らない秘密の花園へ…。
1年に1回、野に花を咲かせる姿には、「いのち」の感動があふれていました。
野の花を見よ、空の鳥を見よ…。
神がこの自然界の全てを創り、数々の「いのち」を養い育てている…。
私たちも、その自然界の一員なのです。
主イエスは、この自然界に生きる「いのち」を前にして、
「だから、心配はいらない…。だから、この神の国と義を、第一としなさい…。」
と語られたのです。不思議と勇気と力がわいてきました。
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沈黙の30年 〜受胎告知、主イエスが生まれ育ったナザレ |
イスラエル人というと、ユダヤ人だけだと思いがちなのですが、そうではありません。
具体的な数字は今回初めて知りましたが、人口の25%をアラブ人のクリスチャンが占めているそうです。
特に、ヨルダン川西岸のパレスチナが自治をはじめてから、ナザレなどに越してきたアラブ人も多いのだとか。。。
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現在のナザレの街並み |
マリアの住まいとされる受胎告知教会 |
当時のナザレ住居跡(洞窟) |
今でこそ、主イエスが暮らした町として有名なナザレですが、当時は、泉の周りに出来た、ほんの10軒ほどの部落に過ぎなかったそうです。ナザレで見つかっている当時の住まいは、すべて洞窟。
全く無名のナザレの田舎大工であったイエス。本当に、ごく普通の庶民的な生活をしながら、30歳まで暮らしていたことがわかります。もちろん、何の肩書きも身分もありません。
しかし、公の生涯に入った時、その彼の元には、慰めや、癒し、救いを求めて、多くの人々が集まってきたのです。やがてはユダヤ政治、宗教、社会全体を揺り動かすことになったのでした。
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主イエスの足跡をたどる十字架・復活への道 〜エルサレム |
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ピラト官邸。ガイドの柿内師から説明を受ける |
クリスチャンにとって、エルサレムでメインといえば十字架の道―ヴィア・ドロローサになるかと思います。
ピラトの官邸でもあった要塞跡に建てられたエッケ・ホモ教会には、2000年前の石畳も発掘されています。
エッケ・ホモ…「この人を見よ。」
毎回ガイドをしてくれている柿内ルツさんの話が、歴史的な事実としての十字架をリアルに描写していきます。
ビアドロローサは、実際に通ってみると、思いにふける間もないくらいに、狭く、商人たちで騒然としています。2000年前の道は、3〜4mくらい下ということですが、街並みの造りは当時と同じとのこと。過越の祭とも重なって、多くのユダヤ人に、もみくちゃにされるように、ゴルゴダへと向かわれたことがわかります。
ゴルゴダの丘のある聖墳墓教会では、十字架の建てられた跡のある岩も小窓越しに見ることができます。
そこには、大きな割れ目が…。
イスラエルでは大きな地震は、300年に一度くらいしかないそうです。この岩に裂け目が出来るほどの地震が起きるのも、この時代、1回だけだというわけです。主イエスが息を引き取られる時に起きた地震を思わされます。
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ビア・ドロローサ。道は想像以上に狭い。 |
聖墳墓教会。ゴルゴダのあった場所。 |
その下の岩も見ることが出来る |
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…野の花を見よ。空の鳥を見よ。
有名な聖書のことばですが、野の花、空の鳥…私自身、これまで、どれだけ見ているか疑問でした。
いや、見てはいると思います。
しかし、どこまで、野の花、空の鳥から何かを感じ取っていたかは疑問です。
イスラエルというのは、国土の60%が、年間平均降水量わずか30mmという乾燥地帯、いわゆる「荒野」と呼ばれる場所です。
その荒野に雨が降ると、その2〜3日後には、芽が吹き出し始め、花を咲かせる姿には、感動です!
北部のガリラヤ地方も、雨季には雨の降る地中海性気候ですが、それでも花が咲くのは、この時期だけ、それも、ほんの2〜3週間がピーク。
そのガリラヤにも雨が降り、1日1日、真っ赤なアネモネの花が増えていくのがわかります。普段、花には目もくれないようなおじさんたちも、大興奮!
そこには、「いのち」の感動があるんですよね。
日本は、イスラエルに比べたら、ある意味、自然は豊かだし、花々も豊富。
でも、年間自殺者3万人を出している社会でもあります。
私たちは、気づかないうちに、何か大切なものを忘れてしまっているのかもしれません。
「いのち」ということ…。
私たち人間も、同じ神に創られた、自然界に生きる「いのち」ある存在です。
そんな、ごくごく当たり前のようなことですが、
普段、日常生活の忙しさに追われていく間に、忘れてしまっているような気がします。
主イエスもベツレヘムで「いのち」ある存在として生まれ、
ナザレという小さな部落で、大工を営みながら貧しい生活をし、
時が来て、貧しい人、病人、遊女、取税人…、社会から罪深いとされた人たちも、
その「いのち」を豊かに生きることが出来るようにと、
自らの「いのち」を差し出した…。
―わたしが来たのは、羊がいのちを得、それを豊かに得るため…。
わたしはよい羊飼いです。よい羊飼いは、羊のためにいのちを捨てます。
私たち日常の中には、様々な困難や苦難、悲しみもあります。
時に、それらに押しつぶされて、「いのち」の花が萎んでしまうのも
私たちかもしれません。
ですが、あの「荒野」にすら花を咲かせ、空の鳥たちを養い育てる神がいます。
「だから、心配いらない。だから、その神の国とその義に信頼して、生きろ」と、
主イエスは、まさに、自らの「いのち」を賭けて、
「いのち」ということ、「生きる」ということ、
「いのちのことば」を伝えてくれているように思います。
この「いのちのことば」を、改めて噛み締める旅になりました。
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●竹下 力 (聖望キリスト教会・伝道師/にこまるツアー) |
日本大学芸術学部卒業。クリスチャンホームに育つも、放蕩息子状態であった在学中に、はじめてイスラエルを旅行し、信仰が覚醒されるきっかけとなる。3年間、カメラマンとして働いた後、JTJ宣教神学校へ。
卒業後、教会など経済的な負担をかけなくてもすむように、自ら生計を建てながらの伝道活動を目指す。
現在は、仲間と旅行業を営みながら、単立・聖望キリスト教会(千葉県・市川市)をはじめ、教会・集会などで伝道活動を行なう。イスラエル聖地旅行にも精力的に取り組む。 |
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●現地ガイド 柿内ルツ師 (イスラエル政府公認ガイド) |
東京聖書学院卒業、エルサレムのホーリーランド大学神学修士終了、現在イスラエル在住15 年以上のイスラエル政府観光省公認ガイド。
イスラエルにおいて、日本語で聖書地理・考古学・自然界など、聖書の世界を学べる学校を造るのが夢!
聖地旅行ガイドとしては、もうベテランの領域。聖書考古学を中心に専門知識と気さくな人柄で、味わい深い聖書の旅へと案内してくれます。 |
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