【特集】百済の面影を尋ねる歴史の旅 ~公州 扶余~
韓国・三国時代の一国として、古代より日本と関係の深かった百済。その歴史をたどってみませんか?当時の建造物はほとんど残されていませんが、その面影を残すのが、かつて百済の都があった公州(コンジュ)と扶余(プヨ)です。
地形を生かした山城跡から望む風景は、どこか懐かしい、韓国の原風景を思い起こさせてくれます。
「百済歴史遺産地区」が世界遺産に登録!
2015年7月、「百済歴史遺産地区」がユネスコの世界遺産に登録されました。【公州】公山城、宋山里古墳群(武寧王稜)
【扶余】扶蘇山城と官北里遺跡、定林寺跡、陵山里古墳群、羅城
【益山】王宮里遺跡、弥勒寺跡
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百済文化を飾る都 公州
公州は、百済第2の都。475年、高句麗から漢城(今のソウルの南)を奪われた百済は、当時「熊津」と呼ばれた公州に都を建設。63年間都が置かれました。一時期の混乱はあったものの武寧王の時代には、王権も回復。近年、その武寧王と妃の墓が見つかったことで、これまで謎も多かった百済文化が明らかにもなりました。百済最後の都 扶余
扶余(サビ)は、百済最後の都。第26代 聖王(聖明王)は、538年に遷都。仏教文化も花を咲かせ、日本に仏教が伝来したのも、この頃です。防衛の中核だった扶蘇山城の目下には、白馬江が、時の流れを忘れさせるかのように、ゆっくりと流れています。1993年に金剛大香炉が発掘され、百済文化とともに、その技術力の高さも証しています。
これだけは知っておきたい!百済の歴史
高句麗、新羅とともに韓国の三国時代を築いた百済(くだら・ペクジェ)。日本との関わりも深く、唐も含めて、東アジア一円の社会、文化に深く関与しています。その歴史を紐解くことで、旅行の楽しみも倍増! 時代の流れに従って、地図と旅行の写真で説明しています。 まずは、百済の歴史を旅してみましょう。
おすすめプラン ソウルから日帰りプラン & 充実の扶余2泊プラン
ソウルから公州・扶余は、車で約3~4時間。もし一通り見るなら理想は扶余2泊、少なくとも1泊したいところ。やや強行軍ですが、ソウルから日帰りプランと、充実の扶余2泊プランをご紹介します。オーダーメイドですので、もちろんアレンジは可能です。
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