百済文化の華咲く都・熊津 ~公州~

475年、高句麗から漢城(今のソウルの南)を奪われた百済は、当時「熊津」と呼ばれた公州に都を建設。63年間、都が置かれました。一時期の混乱はあったものの武寧王の時代には、王権も回復。
近年、その武寧王と妃の墓が盗掘されずに見つかったことで、これまで謎も多かった百済文化が明らかにもなりました。
—
宋山里古墳群 武寧王陵

実際の王陵内に立ち入ることは出来ませんが、併設されている模型館には陵内を精巧に再現した部屋や、当時の様子を表した模型などが展示され、実際の様子をうかがいしることができます。
※写真は、模型間の武寧王陵内を再現した部屋です。

実際の王稜、隣に王妃の墓

武寧王の棺の模型

王陵の作成方法
—
武寧王陵の発掘品が見れる 公州博物館

国宝にもなっている金製冠飾(写真)や耳飾など、王や王妃の装飾品と副葬物が展示されています。慶州で発掘された装飾品と見比べて見ると、新羅、百済の対比ができて、さらに面白いかもしれません。
また、第二展示室では、百済文化がよくわかるように、原三国時代から、熊津(公州)、サビ(扶余)に遷都する前後までの生活文化、仏像、対外交流関連資料などが展示されています。



錦江を望む山城 公山城

その遷都の際、高台の上に築かれていたのが公山城。現在残っている石垣は朝鮮王朝時代のものですが、当時は土塁であったとか…。
城郭をぐるっと周ってを歩くだけでも、たっぷり1時間半。
通常観光では入口の錦西楼近辺を散策します。
■下に錦江を望む天然の山城

下の方に錦江からの入り口「拱北楼」(北門)が見えます。 注)公山城敷地は広く、かなり歩くため、通常の観光では入口近辺のみの見学にしています。
以下までは詳しく見学しません。ご希望の場合は事前にお知らせください。
■ぐるっと周ると1時間半
史蹟ポイントを見ながら、ぐるっと周って歩くだけでも、約1時間半。城郭の周りはかなりの高低差もあり、近隣の方々のウォーキングコースにもなっているようです。
遺跡ばかりでなく、周囲の景色も眺めながら、ゆっくり散策したい場所です。

百済時代の推定王宮跡

朝鮮時代の鎭南樓(南門)

高低差がかなりあります
—
■百済時代の宴会場 臨流閣



現在の建物は、発掘調査を基に、1993年に復元されたものですが、周囲の木々の緑とも相まって、
屋根裏の装飾も見事。美しい佇まいになっています。
公州名物 牛頭を煮込んだタロ・クッパ(ソモリクッパ)

通常「クッパ」といえば、ご飯も一緒にスープの中に入っているのですが、別々に出てくるのが特徴。そのため地元では「タロ(分かれた)・クッパ」と呼ぶことの方が一般的みたいです。
…というか、それでもクッパなの?って感じですが、味はカルビタンよりもスープの旨みが濃厚で、美味しいです。
—