エルサレム |
■オリーブ山周辺
・主の泣かれた教会
・ゲッセマネの園
■神殿の丘/嘆きの壁
エルサレム旧市街(世界遺産)
■十字架への道
・鶏鳴教会(大祭司官邸跡)
・アントニア要塞(ピラト官邸)跡
・ヴィアドロローサ
・聖墳墓教会
■エルサレムの遺跡
ヒゼキヤ水道
シロアムの池
イスラエル博物館
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ガリラヤ湖周辺 |
■ガリラヤ湖周辺と北部
・ペテロの再召命教会
・カペナウム遺跡
・山上の垂訓(説教)の丘
・ピリポ・カイザリア(バニアス)
■イエスの育った街 ナザレ
・ナザレ受胎告知教会
・大工ヨセフの教会
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地中海沿岸 |
■海の玄関口 カイザリア
「ポンテオ・ピラト」の碑文
円形劇場
導水橋
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死海/ユダの荒野 |
■荒野にある恵み
死海
マサダ要塞(世界遺産)
クムラン遺跡
エリコ |
中・南部/ネゲブ地方 |
■旧約時代の痕跡
古戦場「エラの谷」
テル・ベエルシェバ(世界遺産)
■ネゲブ砂漠
ミツペラモン
ティムナ |
エジプト・シナイ山 |
■シナイ山
シナイ山
聖カテリーナ修道院 |
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死海周辺/ユダの荒野 |
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朝焼けの死海 |
●死海
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誰にでも楽しめる死海浮遊 |
古代より不思議な力がある湖として知られてもいたようです。
死海浮遊が有名ですが、海抜マイナス400mの気圧が手伝い濃縮して溶け込んだミネラルにより、肌にいいだけではなく、疲労回復効果など様々な効能があります。
聖書では「塩の海」、「アラバの海」などとして登場します(創世記14:3、申命記34章、ヨシュア3:16など)。
塩分ミネラル濃度が高く、生物が生息しないことから「死海」と呼ばれていますが、しかし、実際には、湧き水などにより塩分濃度が低くなっている場所があり、そこでは生物が生息できる場所もあるそうです。
エゼキエル37:8〜10は、その様子をイメージさせます。
◎エン・ゲディ
「エン・ゲディ」とは死海沿岸にある地名で、ダビデがサウル王から逃れ、隠れた場所としても知られています。「エン」とは「泉」のことです。
今では国立公園として整備され、ダビデゆかりの荒野のオアシスとして、子供連れなど国内でも親しまれています。
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奥にダビデの滝があり、
水分のあるところに木が生息している |
荒野に生息する鹿の親子 |
子どもたちの姿も目立つ |
● マサダ要塞跡(世界遺産)
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自然の要塞 ーマサダー |
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2000年前のフレスコ画 |
死海のほとりの荒野にあり、高さ400m断崖絶壁の菱形台地に築かれた要塞。そもそも紀元前100年頃、要塞として築かれましたが、ヘロデ大王が自分の避難場所として難攻不落の要塞として大改修しました。
ケーブルカーで登ることができ、頂上から死海、ユダの荒野一帯を展望できます。
巨大な貯水槽、食料庫、サウナ設備、宮殿などの建物跡が見られ、2000年前の色彩豊かなフレスコ画も残っています。
A.D.70年、ローマ帝国によってエルサレムが陥落。
しかし、残されたユダヤの民967名は、この要塞に立てこもり、あしかけ3年、抵抗し続けます。さすがのローマも厳しい自然環境の中、苦しめられます。
されど、相手はローマ帝国です。巨大要塞の頂上めざし、スロープを築き上げていったのです。
自由か、束縛か…。
いよいよローマに攻め落とされる時がきた時、彼らは外国による束縛よりも自由を望み、ある母子たちを除いて、集団自決しました。
決して日本人的な死を潔しとする感覚ではなく、ユダヤ人の自由と誇りに生きるための選択であったのです。
「リメンバー・マサダ(マサダを忘れるな)。」
このマサダは、今のイスラエルにとっても、「自分たちの国」と「自由」のシンボルにもなり、イスラエル軍の入隊式もここで行われています。ユダヤ人たちの思いが詰まっている場所です。ユダヤ、イスラエルを理解するうえでは、欠かせない場所のひとつでしょう。
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絶望か、希望か… マサダで見た鳥 |
マサダ要塞跡 |
●クムラン遺跡
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クムラン居住跡 |
紀元前2世紀の終わり頃から、紀元68年頃ローマの侵略を受けるまで、世俗を離れ、荒野の地で修道士生活を送っていたグループがいます。イザヤ 40:3
「荒野に呼ばわる者の声がする…」を彼らなりに解釈し、身を清め、この荒野で救い主の到来を待ち望んでいたのです。
一般的に「クムラン教団」とも呼ばれていますが、「クムラン」とはその土地(水無川)の名前で遺跡発見された当初に付けられた通称です。彼らの生活跡が遺跡として発掘され、修道生活ぶりがわかります。身を清めるための水浴層や水路が整備されており、聖書で言うところの「エッセネ(=「バプステマ」の意)派」、バプテスマのヨハネもその1人として考えられています。
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死海文書が見つかった洞穴 |
◎ 死海文書
1947年、ベドウィンの少年がヤギを追いかけていたときに、死海文書(しかいもんじょ)は発見されました。一般的にはこのクムラン教団によるものとされていますが、考古学上では諸説もあります。
イザヤ書をはじめとして、聖書写本の中では最古のもの(紀元前1世紀)となり、写本の正確性が実証される結果になりました。
● エリコ(誘惑の山)
エリコは、死海の北側。現在のパレスチナ自治区にあります。
エリコでは、ヨシュアらによって陥落したエリコよりもさらに古い時代、推定BC7,800年とされる住居や円形塔跡も見つかっています。新約聖書時代のエリコは、また別の場所にあり、同じ「エリコ」でも点在しています。
その脇から、ケーブルカーにて登り、誘惑の山へ。エリコ一帯が一望できます。
主イエスが40日40夜断食したのは、エリコ近郊の荒野ではなかったかと言われています。ネゲブ砂漠で見た「荒野」とは、また違う「荒野」です。その違いも確かめてください。
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