エルサレム |
■オリーブ山周辺
・主の泣かれた教会
・ゲッセマネの園
■神殿の丘/嘆きの壁
エルサレム旧市街(世界遺産)
■十字架への道
・鶏鳴教会(大祭司官邸跡)
・アントニア要塞(ピラト官邸)跡
・ヴィアドロローサ
・聖墳墓教会
■エルサレムの遺跡
ヒゼキヤ水道
シロアムの池
イスラエル博物館
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ガリラヤ湖周辺 |
■ガリラヤ湖周辺と北部
・ペテロの再召命教会
・カペナウム遺跡
・山上の垂訓(説教)の丘
・ピリポ・カイザリア(バニアス)
■イエスの育った街 ナザレ
・ナザレ受胎告知教会
・大工ヨセフの教会
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地中海沿岸 |
■海の玄関口 カイザリア
「ポンテオ・ピラト」の碑文
円形劇場
導水橋
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死海/ユダの荒野 |
■荒野にある恵み
死海
マサダ要塞(世界遺産)
クムラン遺跡
エリコ |
中・南部/ネゲブ地方 |
■旧約時代の痕跡
古戦場「エラの谷」
テル・ベエルシェバ(世界遺産)
■ネゲブ砂漠
ミツペラモン
ティムナ |
エジプト・シナイ山 |
■シナイ山
シナイ山
聖カテリーナ修道院 |
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エルサレム |
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―十字架への道― |
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ヴィア・ドロローサ 〜悲しみの道〜 |
●ペテロの鶏鳴教会(大祭司カヤパ官邸跡)
ペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。
そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。 マタイ26:75
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鶏鳴教会 |
カヤバ官邸の地下牢 |
現在のエルサレム旧市街城壁の南外側に位置していますが、当時の城壁は今よりも南側まで含んでいました。
逮捕された主イエスは、大祭司カヤパの官邸にて裁判を受けます。そこで、ペテロは主イエスのことを「知らない」と否定してしまったわけですが、そこまで行った勇気は褒められるべきことなのかもしれません。
実は、もう1人、このカヤパの官邸に行った弟子がいました。ヨハネです。しかし、このヨハネは大祭司カヤパと知り合いで、門番とも顔見知りだったようです(ヨハネ18:15〜16)。つまり、ペテロは「イエスの弟子」として、ヨハネは「大祭司の知り合い」としてこの官邸にいたのでした。
● エッケ・ホモ教会(アントニア要塞/ピラト官邸跡)
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エッケホモ教会の地下。
2000年前当時の石畳 |
さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。
時は明け方であった。
…ピラトは彼らのところに出て来て言った。
「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
ヨハネ18:28〜29
アントニア要塞も、ヘロデ王が築いた要塞です。ここにピラトも駐在していました。
2000年前、すなわち主イエスの時代の石畳が残っています。
この跡地に建てられているのがエッケ・ホモ(「この人を見よ」ヨハネ19:5)教会です。
● ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
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第5ステーション前
十字架を担いで歩く巡礼客も |
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第7ステーション前
街の面影は当時と変わらない。 |
1 イエス、死刑判決を受ける(アントニア要塞)
2 イエス、十字架を背負わされる(アントニア要塞)
3 イエス、十字架の重みで倒れる
4 母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う
5 キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされる(マルコ15:21)
(イエスが手をついたとされる当時の壁の石も残されています)
6 聖ヴェロニカがイエスの顔を拭く
7 イエス、2度目に倒れる
8 イエス、悲しむ女性たちを慰める(ルカ23:27〜31)
9 イエス、3度目に倒れる
10 イエス、衣を脱がされる(聖墳墓教会)
11 イエス、十字架に付けられる(聖墳墓教会)
12 イエス、十字架上で息を引き取る(聖墳墓教会)
13 アリマタヤのヨセフ、イエスの遺体を引き取る(聖墳墓教会)
14 イエス、埋葬される(聖墳墓教会)
● 聖墳墓教会
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。
ルカ 23:33
十字架が建てられたゴルゴダの丘と、主イエスが納められた聖墳墓からなっています。
旧市街の城壁内に位置していますが、キリスト時代には城壁の外となり、教会のある下の岩には、十字架の立てられた痕跡も多く見つかっています。
この場所に最初に教会が建てられたのは、AD336年。ローマ皇帝コンスタンティヌスの母へレナによる。彼女は熱心なクリスチャンで、326年に聖地を巡礼し、ナザレの受胎告知教会、ベツレヘムの聖誕教会などを建てている。
現在の建物は、1808年に火事で大破し、再建されたもの。カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会によって共同管理されています。
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聖墳墓教会 |
ゴルゴダの丘 |
イエスが下ろされた岩 |
聖墳墓 |
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◎もう一つのゴルゴダ「園の墓」
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ゴードンのカルバリ |
旧市街の北側、どくろのような形をした岩肌と、その脇に墓地があります。19世紀にイギリスのゴードン将軍が、こここそが真のカルバリの丘であり、イエスの墓ではないかと買い取り、注目されました。
実際の位置としては、やはり聖墳墓教会の位置がカルバリの丘と考えられていますが、「園の墓」は聖書の記述と共通点も多く、復活の主を想うにはふさわしい場所と言えます。
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