エルサレム |
■オリーブ山周辺
・主の泣かれた教会
・ゲッセマネの園
■神殿の丘/嘆きの壁
エルサレム旧市街(世界遺産)
■十字架への道
・鶏鳴教会(大祭司官邸跡)
・アントニア要塞(ピラト官邸)跡
・ヴィアドロローサ
・聖墳墓教会
■エルサレムの遺跡
ヒゼキヤ水道
シロアムの池
イスラエル博物館
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ガリラヤ湖周辺 |
■ガリラヤ湖周辺と北部
・ペテロの再召命教会
・カペナウム遺跡
・山上の垂訓(説教)の丘
・ピリポ・カイザリア(バニアス)
■イエスの育った街 ナザレ
・ナザレ受胎告知教会
・大工ヨセフの教会
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地中海沿岸 |
■海の玄関口 カイザリア
「ポンテオ・ピラト」の碑文
円形劇場
導水橋
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死海/ユダの荒野 |
■荒野にある恵み
死海
マサダ要塞(世界遺産)
クムラン遺跡
エリコ |
中・南部/ネゲブ地方 |
■旧約時代の痕跡
古戦場「エラの谷」
テル・ベエルシェバ(世界遺産)
■ネゲブ砂漠
ミツペラモン
ティムナ |
エジプト・シナイ山 |
■シナイ山
シナイ山
聖カテリーナ修道院 |
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エルサレム |
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―ダビデの町― |
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からし種の木 〜ダビデの町考古学公園にて |
● 「ダビデの町」考古学公園
現在の旧市街城壁外のすぐ南側には、ダビデが最初に築いたエルサレムの遺跡が広がっており、現在も発掘が行われています。高台には権力者の居住跡が発見され、ダビデの王宮かともいわれています。
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ウォーレンの縦穴から、
ヒゼキヤのトンネルへ |
◎ウォーレンの縦穴
ギホンの泉からエルサレム城内へ水をくみ上げるために作られ、ダビデが先住のエブス人を攻略する際に兵を送り込んだ穴といわれています。
考古学者チャールズ・ウォーレンの名前を取って、「ウォーレンの縦穴」と呼ばれています。
◎ギホンの泉〜ヒゼキヤのトンネル〜シロアムの池
このヒゼキヤこそ、ギホンの上流の水の源をふさいで、これをダビデの町の西側に向けて、まっすぐに流した人である… U歴代誌 32:30
この地域にあって、防衛上、水源の確保は重要な課題になります。
紀元前700年頃、アッシリアの脅威にさらされたヒゼキヤ王は、敵から水源を守るため、城壁の外にあったエルサレムの水源「ギホンの泉」を隠し、岩盤をくり貫いて地下トンネルを掘り、城内のシロアムの池まで水を引きました。これが、ヒゼキヤトンネルです。
◎シロアムの池
「シロアムの池」は近くに複数存在し、それぞれ時期が異なっているようです。
まず、ヘゼキヤが貯水池として作った当初の池は、紀元前586年のバビロン王ネブカデネザルによるエルサレム攻撃で破壊されたようです。
それために批判的な学者の見解では、主イエス時代にシロアムの池は実在せず、主イエスが盲目の人を癒した奇跡は、ヨハネの信仰的な創作とも考えられていました。
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新たに発見されたシロアムの池 |
ところが2005年の下水道工事の際、新たに紀元前1世紀初めに建設されたシロアムの池が発見されました。ここが主イエスが盲目の人を癒した「シロアムの池」です。池の周りの土からAD70年頃使われていた硬貨が多数発見されており、エルサレム陥落後に埋もれたことがわかっています。
それまで考古学者の間ではシロアムの池をもっと小規模のものと考えていましたが、この発見で、池に降りる三つの階段を備えた大規模のものであることがわかりました。この池はかつてエルサレム巡礼のユダヤ人たちが集合場所にも利用していたようです。
● イスラエル博物館
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1/50 エルサレム模型。 |
◎ 1/50 エルサレム模型
第二神殿時代のエルサレム市街が、1/50スケールの模型でリアルに再現されています。アビ・ヨナ考古学博士の作で、ヨセフスの「ユダヤ戦記」を参考に、エルサレムの城壁や建造物と同じ材料のエルサレムストーンが使われています。
主イエスの時代にヘロデが建設した神殿、祭司(サドカイ派)など高官が住む高台、一般人の住む低地と区分けされており、カルバリの丘もみられます。
◎ 死海写本館
クムランで発見された死海文書の一部が展示されています。
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死海写本館 |
死海写本の展示
(イスラエル大使館提供) |
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