エルサレム |
■オリーブ山周辺
・主の泣かれた教会
・ゲッセマネの園
■神殿の丘/嘆きの壁
エルサレム旧市街(世界遺産)
■十字架への道
・鶏鳴教会(大祭司官邸跡)
・アントニア要塞(ピラト官邸)跡
・ヴィアドロローサ
・聖墳墓教会
■エルサレムの遺跡
ヒゼキヤ水道
シロアムの池
イスラエル博物館
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ガリラヤ湖周辺 |
■ガリラヤ湖周辺と北部
・ペテロの再召命教会
・カペナウム遺跡
・山上の垂訓(説教)の丘
・ピリポ・カイザリア(バニアス)
■イエスの育った街 ナザレ
・ナザレ受胎告知教会
・大工ヨセフの教会
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地中海沿岸 |
■海の玄関口 カイザリア
「ポンテオ・ピラト」の碑文
円形劇場
導水橋
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死海/ユダの荒野 |
■荒野にある恵み
死海
マサダ要塞(世界遺産)
クムラン遺跡
エリコ |
中・南部/ネゲブ地方 |
■旧約時代の痕跡
古戦場「エラの谷」
テル・ベエルシェバ(世界遺産)
■ネゲブ砂漠
ミツペラモン
ティムナ |
エジプト・シナイ山 |
■シナイ山
シナイ山
聖カテリーナ修道院 |
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中・南部・ネゲブ地方 |
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―旧約時代の足跡― |
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兵どもの夢の跡 ― 古戦場 エラの谷― |
● エラの谷
ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。
彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。
サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。
ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した 1サムエル17:1〜3
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イスラエル(ユダ)側の山 |
ユダ部族であったダビデと、ペリシテの巨人ゴリヤテが戦った「エラの谷」。
2008年10月にはエラの要塞跡から古代ヘブライ文字が発見され、実際に、このあたりでペリシテとイスラエルの攻防が行われていたことも判明してきています。まさしく古戦場であった場所です。
クリスチャンにとっては意外かもしれませんが、ダビデやその史実はまだ実証されておらず、批評家たちからは「伝承」とか「伝説」とも言われているのです。その意味でも、この「エラの谷」は重要な手がかりの一つとなっています。
● テル・ベエルシェバ遺跡(世界遺産)
こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。1サムエル 3:20
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テル・ベエルシェバ |
ベエル・シェバは、古代イスラエルの南端の街にあたります。
「テル」とは、丘の意味ですが、遺跡のテルは、何世代もの街の建物が潰れてはその上に建物を建て、積み重なってできた人工の丘のこと。このテル・ベエルシェバの遺跡は、世界遺産にも登録されています。
発掘されている遺跡はダビデ王朝時代(B.C1000年頃)に建てられた街の遺跡で、当時の街の作りや構造がよくわかります。
◎ アブラハムの井戸
アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。
それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。創世記21:30〜31
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アブラハムの井戸 |
テル・ベエルシェバの遺跡の脇に、「アブラハムの井戸」と呼ばれる紀元前1800〜2000年頃の井戸があります。乾燥地帯にあって、水の出る井戸を確保することが生活の基盤となり、村や街が形成されていきます。
実際にこの井戸が、聖書に出てくるアブラハムの井戸とは限りませんが、この井戸を巡っても多くの争いがあったことでしょう(創世記26:14〜33参照)。
◎ベドウィン・テントでのランチ
ベドウィンとはアラビア語の「砂漠の住人」という意味で、今もなお、定住できる家は持たず、テント(天幕)で生活をする遊牧民族のことを指します。現代文明とも接し、観光客相手の商売も行う彼らですが、この天幕生活だけは変えられないようです。
同じく遊牧民族であったアブラハム、イサク、ヤコブの天幕生活を思い浮かべながら、現地の食事を楽しんでみましょう。
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